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8月, 2017の投稿を表示しています

魔法の美術館

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海遊館の程近くにある大阪文化館にて、2017年7月15日~9月3日のイベント「 魔法の美術館 」に行ってきた。 テクノロジー系の展示は結構好きで、思えば「 チームラボアイランド 」や「 パパパPARTY 」にも足を運んできた。子供にもそこそこ好評。 種明かしに関心が向く 「魔法の美術館」では、スクリーンの前に立つとカメラ型センサーが鑑賞者を検知してスクリーンに反映される相互作用型の作品が多い。 MicrosoftのXbox One Kinectに搭載される赤外線カメラによって、暗い場所でも奥行き3D情報を得て、エフェクトを作り込める。 こちらの作品も赤外線カメラでリアルタイムに3Dモデルを作る。あまり高精度だとただの2D画像に見えるところ、昔のバーチャファイターを彷彿とさせる解像度の低いポリゴン画像なので、3Dモデルっぽさが感じられるのは逆説的で面白い。 3Dプリンターが出力デバイスとして普及してくると、赤外線カメラが手軽な入力デバイスとして活躍しそうな予感。 円盤状にぐるぐる回るギターのフレット的な棒が投射されていて、星形プレートにぶつかると綺麗な音が鳴る作品。 星形プレートは動かすことが出来るので、好きな場所に置いて棒が回ってくるのを待つ。 星形プレートの場所はセンサー情報から得られないので、自前で画像認識する必要がある。ただ、OpenCVなどの無料ライブラリーが活用できるので比較的容易にパターンマッチングが作れるかも。 舞い上がる発泡スチロールの粒にプロジェクターで投影している。子供達は、モノに触れる作品の方が惹かれるようだ。 光の三原色である赤・緑・青かと思いきや、よく見ると水色・赤紫・黄色になっていて、3原色から1色づつ抜いた色になっている。 3台並べたプロジェクターを3原色に対応させていて、1色づつ遮るという単純な影絵だった。影のまわりに蝶を飛ぶところに相互作用がある。 4×9のパネルにボールをぶつけると反応する展示。画像センサーかと思いきや、背面に4×9個分のセンサーを張り付けていた。この愚直さはけっこう好きだ。 白い絵本を開いて立ち歩くと、ある場所で絵が出てくる。要するにただのプロジェクターなんだけど、足元を照明で照らすことで絵

自然と暮らす切り紙の世界

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神戸ファッション美術館 にて2017年7月13日~10月9日までの特別展示が「 自然と暮らす切り紙の世界 」だった。付近をぶらついていると、タペストリー広告に描かれた原色ながら優しい雰囲気に惹かれて入ってみたくなった。 作者の 今森光彦 さんは写真家ながら、里山にアトリエを構える切り紙アーティストとしても活躍されている。蝶の切り紙が本物の標本みたく精細で、しかも美しい。我が子にとっては自分が蝶に変身することの方が興味あるようだったけど。 美術館の入り口付近には塗り絵コーナーがあって、子供たちが思い思いに標本の蝶どおりに塗ったり、好きな色で塗ったりしている。 期間中に貼られた塗り絵の集大成を見ると、これはこれで一つの作品に見えてくる。 前フリはさて置き展示に入る。当然ながら撮影禁止なので、「ここが凄い」と伝えるのは難しいけど頑張る。 一本のハサミとソリドグラフ 展示の近くに「一本のハサミで作られています」という但し書きがあって、この精細さをハサミで出せるなんて凄いなぁと感嘆するばかりだった。 切り紙の作品に近づいて観察すると、一つ一つの要素は塗りの中にハイライトやシャドウがあって、模写しようと思えばイラレで真似ることもできるかもしれない。 でも、やり直しの効く描画ツールではなく、一本のハサミで作る切り紙だから尊いんだろうか...そんな漠然とした仮説が浮かんできた。 私の仮説「手仕事だから尊い説」が打ち砕かれたのは、後から作品の脇に「ソリドグラフ」という但し書きがあることに気付いた時だった。ソリドグラフとは、切り紙の作品を超高精度で立体的にスキャンして技術的な方法(レーザーカッター?)で作品を再現したレプリカ。 言われても気付かないくらい良く出来たソリドグラフを観て、「凄いなぁ」と感心していたことに後から気付く。手仕事で作った実物だから尊いという精神論もあるけれど、質感や立体感を出す手段としての切り紙なんだろうと考え直す。 切り紙遊びと写真のあいだ 簡単な切り紙で季節を感じる「切り紙歳時記」という展示エリアがあった。季節を気ままに切り紙で表現する、京都・滋賀あたりの文化にルーツがあったとか。 半分に折ってハサミで切って広げて作る季節の風景や花は、シンプルだったので私にも作れそうに思えた。挑戦

竹中大工道具館

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大工さんに憧れだした訳ではないのだけど、関心が沸いたことは芋づる式に深めてゆこうと、大工道具を扱った日本唯一の博物館「 竹中大工道具館 」を訪れてきた。 建物の外観は、いかにも大工さんお仕事らしい木造平屋。 入場券が鉋というのが粋。入ると広い多目的スペースで、「展示はどこ?」と戸惑う。 階段を降りると展示スペースがある。地下2Fまであるというのが、木造建築からは想像も付かない。 展示のメインは大工道具。優れた道具ほど使い倒されて消耗して後世に残らないため、展示されている往年の名機は希少性がある。 木材に着目して、木の種類ごとの香りや手触りを楽しみつつ特徴を学んだり、部位によってどんな木材が得られるか理解を深めたりするような展示もあり。 継手(長さを増やす)や仕口(角度を変えて繋ぐ)を知恵の輪ばりに付け外しできて、精密さに驚く展示もあり。 地下2Fにいきなり茶室が現れる。「無作為の中の作為」への理解が深まり、我が娘が茶室をえらく気に入る。 夏休み宿題の追い込みシーズンなのか、木工教室は待ちができるほどの盛況ぶりだった。スタッフの他、案内して下さるボランティアの方が多い。 道具と人間のユーザーインターフェース 道具館の展示から得た知識もあるけれど、最も印象に残ったのは「道具は手の延長」という考えだった。 先日の DIYワークショップ 講師の台詞とも重なる(引用元: オオミシマスペース公式blog )。 「丸鋸がなかったら私はただのオジサン」by 高橋さん すなわち、「 人間+ 道具 =専門家」を前提にすると、道具を持たない人間はただの人間という話。 広い意味で、 私が開発してきたのは 専門家が使う道具であり、その中でもユーザーインターフェースを担当してきた。 インターフェースは「境界」であり、人間と道具の間には境界があることを前提としている。 一方で、一流の大工さんのような専門家にとっては道具も自分の一部であり、もはや道具と人間の間に境界は無い。 道具が組込みソフトウェアで構成される場合は特に、道具を人間の一部にするむずかしい。書籍「 コンピューターはむずかしすぎて使えない 」の中でも「知覚的なずれ」として述べられている。 バイオリンを弾くのはとても

DIYワークショップ@オオミシマスペース

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これまで私はシステムアーキテクトとして、ユーザーニーズから出発して組込みシステムのアーキテクチャ(論理的構造)へと落とし込むことを生業としてきた。 ソフトウェア開発について語る際に、メタファーとして建築と対比させ、違いについて言及することは多い。それなのに、実のところ建築のことはそれほど深く知らない。 もっとプリミティブな出発点からアーキテクトのことを学ぼうと、この度、 オオミシマスペースのクラウドファウンディング から8月12日~13日開催の「DIYワークショップ」に申し込んだ。実はパトロンになるのも初体験だった。 オオミシマスペースに集まる人々 ワークショップの舞台である オオミシマスペース は、しまなみ海道の真ん中「大三島」に位置し、一棟貸切できる宿として2017年秋頃にオープン予定。 オオミシマスペースに対する期待は大きい。利用者に対しては、田舎生活を身近に感じながら合宿・ワークショップ・テレワークできる場所になる。地域に対しては、人を呼び込んで活性化する起爆剤となる。UXデザイン界隈の我々にとっては、ユーザー体験から出発したサービスを実装に落とし込む実践の場となる。 そんなオオミシマスペースは、先述のクラウドファウンディング等で資金調達しつつ、急ピッチで古民家のリノベーションを進めている。 リノベーションで下手に手を入れると範囲が大きくなって資金を食い潰す難しさがあるところ、建築界でUXデザインを実践されている 高橋さん が強い味方となって、 前回の視察 では「そのまま活かそう」「業者に依頼しよう」「DIYしよう」といったアドバイスを下していた。 「DIYでやる」意思決定が下されたフローリング貼りが、今回のワークショップへと繋がった。大工経験を持ちながら工務店社長でおられる高橋さんが講師を買って出られたおかげで、本物の大工さんから「床貼り」を学ぶ機会が得られた。 よくよく考えると、工務店にとってはDIYなんか普及すると仕事が奪われてしまう。でも、時代の変化を受け入れて次の一手を指さねばならないことが、高橋さん自身のblogで「 工務店の無価値化 」として述べられている。フリーミアビジネスを模索していたのか!?と気付く。 DIYワークショップのためオオミシマスペースに集まる